「君は本物か?」と問うてくる車、S2000。’Are you the real deal?’ asks the car, the S2000.

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「乗り手を選ぶ」FRNAMTの3拍子。’Choose your rider’ RWD, NA, MT…

1・S2000のデザインと魅力。

「このまーま♪どこか遠ーく♪連れてーて♪くれないぃーか♪」

と、ハイローズの”日曜日の使者”の楽曲に合わせ、モノクロのようなスモーキーな映像で未舗装路を砂煙を上げながらスローモーションでドリフトで登場するCMのS2000は、それはそれは衝撃的なデビューであり、“うわ〜・・カッコいい・・たのしそう・・”と思わず見惚れてしまったものでした。

しかし、楽しい歌、CMであるはずなのに、どこか切なさというか儚さというか、そういったものも同時に感じていました。

それは、S2000を手に入れる事ができなかった自分への感情なのか、将来の不安から逃げたい自分がそこに居たのかはわかりません。

車自体は買えませんでしたが、CDは即座に買いに行ったものです。

睨んでいる様でどこか微笑み掛けてくるような目のヘッドライトに合わせ、膨れたフロントフェンダーから真っ直ぐに伸びるサイドの直線的なデザインは、今見てもシックリくる秀逸なものです。

実際にリリースされて街中で見る様になってからというもの、まだ無法地帯の時間帯があった夜中の首都高ではクラッシュしている車両をよく見かけました。

大抵それらの近くにはロードスターが停まっており、どちらかがグッシャリとなっていて「意地の張り合い」をしたのであろうと容易に予測がついたものです。

とは言え、車種問わず大抵クラッシュするそういう場所はいつも大体決まっていて、非常にチャレンジングなコーナーであったり、サーキットでは馴染みのない鉄板の繋ぎ目や大型トラックが作る轍(わだち)等々、順次、漏れなくメッカのポイント前後箇所にオービスが設置されていったという訳です。

2・ドライブ体験と技術。

当時の「スポーツカー」と言えば・・・

“マニュアル車”であるのが「当たり前」でしたし、それなりに乗りこなせるまでは街中や田舎道や峠道で練習を重ね、「ヒール&トゥーが当たり前にできる」迄、それなりのテクニックが身についてから「週末真夜中の首都高ドライブ」をしに行くというのが定石で、そうでなければ怖くて行ける場所では無いという空気感さえ漂う、皆がハイペースで周回する“危険な場所”という認識でした。

とにかく自分以外の周りの人たちは自分よりも遥かに上手い人達に見えてくる様な、パーキングエリアには異様な雰囲気が漂っており、公道では違法なスリックタイヤを履いた車両、ロールケージとシートだけの「そのまんまレーシングカー」が走行テストをしに来ていたりと、全く浮世離れした世界だったのです。

無法地帯化している時間帯でもまだ暗いうちは初心者も多く、クラッシュしたバイクやエンジンブローした車がボンボンと火柱を上げて燃えていたりと、そのスリルと現実離れした空間に魅せられてしまったギャラリーもわんさか詰め掛けていました。

こんな場所であるが故に、皆、ベストモータリングやビデオオプションでドライビングテクニックを考察し、雑誌や書籍を買い漁っては日々研究していたものでした。

そんな私も、ポール・フレール先生/作「ハイスピードドライビング」などを読み、速く走れるようになりたいと一心に願う青年だったのです。

純粋無垢とも言うべき無知な我々を尻目に「常連」と呼ばれていた人々は、うっすら明るくなり始めた明け方に走り出していました。

各々暗いうちから車内で寝て仮眠をとっていたり、明け方を狙って登場したりと様々でしたが、“常軌を逸した”とんでもない速さで隊列を組んで走るのです。

チームによっては1軍から3軍まであり、フロントウインドウ上部の「ハチマキ」と呼ばれるデカールの棒線の本数で見分ける事ができたりしました。

ターボなどの過給機付きの「たっぷりお金を掛けた車」であれは、湾岸線などの直線が多い路線、踏みっぱなしの区間で”根性試し的”な速さや凄みはありましたが、首都高速環状線ではコーナーが多くて誤魔化しが効かないので、「本物のテクニックが必要な非力なNAで速い人は真のリスペクト」の目線で見られていたりもしたのです。

特にシビック等はその筆頭で、FFレイアウトというオーバーステアが出にくい傾向を活かしたツッコミ勝負ができたり、タックインを巧みに操るドライバーにとっては一つの武器にもなっており、当時のヒロユキさん主砲”2ちゃんねる”でも話題になる程強烈な車も存在しておりました。

正に「格上のターボ車を喰らう」ことこそ至高とし、それを楽しさとして見出している様な方々は存在していたのです。

第二次首都高戦国時代に登場したS2000は、NAながら同じ2000c cのターボをも凌駕するパフォーマンスを発揮するなど、アフターパーツメーカーが参入する様になってからはより魅力が増す車となりました。

FRレイアウトというテールスライドを誘発する特性を持ちつつ、それをゼロカウンターへ持ち込むべくステアリングと格闘し、V-TECのパワーバンドを外さぬようにエンジンの馬力特性、トルク特性を余すところ無く使い切り、両手両足を使った3ペダルMTで地面へ伝えるという「本格武闘派感覚」は、現代に於いても色褪せることのない、ドライビングプレジャーを凝縮して詰め込んだような車であると言えます。

我を忘れ、気がつくと鼻息が荒くなっているような、自分の技量とハートの強さが素直に出てしまうマシンでもあります。

3・過去と現在の違い。

いつしか気付けば・・・

アンダーグラウンドな世界を生き抜いた車達は世の中から影を潜め、バーチャルから生まれた車が世にお目見えするようになって参りました。

昨今、ゲーミングコントローラーの➕➖ギアチェンジ出身、電子制御アシスト介入でホクホクの温室育ち、2ペダル専門AT限定至上主義者の面々の世代が、設計者側、ユーザー側へと新たに誕生し、CADでクルマのデザイン画を作るのが当たり前の時代に突入したと言えます。

これら世代にとっては、のっけからディスられているような気持ちにさせてしまうようですが、彼ら彼女らは時代の流れや世間の情勢、国の厳しい取り決めや取り締まりに従順に従い、過去の無法地帯やその空気感など知る由もない時代に生まれてきているので、こればかりは致し方が無い実情です。

つまり、バーチャルの中でリアルな世界ではどうであったのか探りながら造っている部分があったり、そんな中でも無駄を徹底的に排除していこうという流れを感じるのです。

EVの時代が後押しし、どこか「第○世代の我々は時代の寵児(ちょうじ)」であり「非常に優れている」と、やや驕(おご)り高ぶっているのではと現代車から感じ取れる部分があります。

私はこの新世代と呼ぶべき者達が造る「近年の車達」に対して「全く真逆の感覚」があり、いくら見た目や内装がサイバーなデザインであろうとも、売り手も買い手も“人間の動物的本能”としては非常に「退化した」と感じる点を多く感じます。

特に、首都高のいつものドライブコースで感じ取っていたことは、

「え?!ここで?!」

という場所にスリップサインがついているパターンが年々増加し、側壁が破損しているような箇所が異様に増えたなと思っていたからです。

それはまるで、

“ゲームと同じノリで走りに来ている人間が無尽蔵に増えた”

と感じさせるもので、コロナ禍真っ只中をピークに増え続けていたイメージを持っていたからでした。

まさにATドライブレンジホールドのままコーナリングへアプローチし、そのコーナリング中に意図せずトランスミッションプログラムが機械的にシフトアップを促してテールスライドを招いた、あるいは、電子制御が意図せず介入してオーバーステアを打ち消そうとアンダーステアを誘発してアウト側へ膨らみ、焦ってブレーキを踏んでABSが作動してブレーキが岩のように固くなってぶつかるしかなかったかのような、そんな雰囲気の痕跡なのです。

全くもって車という機械がどんな動きをするのかという特性も理解せず、ゲームの補正アシスト付きのハンドリングと同じノリでコーナーへ突っ込んでいる感覚が伺えるものでした。

たとえそうでなくとも、週末のパーキングに居れば、ひっきりなしに移動交番やパトカーや救急車のサイレンを聞く状況が増えていると薄々感じておったこともあり、大袈裟になったものだと自身ですら慣れてしまっていたところがあったと思い返す程です。

現在では首都圏の主要パーキングはほぼ全て夜間も常時閉鎖されるようになり、三脚型ポータブル移動オービスが神出鬼没で設置されるようにもなり、実に平和なクルージングが楽しめる時代になりました。

たしかに、私が言うところの「無法地帯の時間帯があった頃の首都高」でも悲惨な事故はありましたし、自身も他大学の交流があった自動車部員とチューニングショップ代表を即死で亡くすという現実に直面しており、タバコを線香がわりに手向けにいった事もあります。

ですから、他人を巻き込む危険性を含めて、絶対にこういった走りを肯定することはできません。

安全機能と言えばABSとハンドルエアバッグ程度の車がその時代背景にはあり、そんな車をさらにハンドル交換で小径スポーツステアリングへ変更してエアバッグを捨て去り、ブレーキキャリパーを変えればABSの作動基準も変わってしまい、命綱は良くて後付け4点式シートベルト、車は勿論マニュアル車だけの世界で、いかに狂った世界だったか今になって恐ろしくも思います。

ただしその分、真剣に車というものを学び、走りというものに向き合い、哲学し、首都高というロケーションに存在するトンネルに反射するブレーキランプで前方で何が起きているかを予測し、常に第6感ないし動物的感を研ぎ澄ませて走っていた方も多かったのかも知れません。

その点、けたたましいエクゾーストノートを聴き続けていながらも、サイレン一つ聞こえない夜もあったくらいで、今日は電光掲示板にXマーク(事故)も付かない平和な夜だと呑気に話していたのが幻のようです。

車の安全性は飛躍的に向上し、ゲームのノリでAT・MT問わず無謀な運転で事故を起こしても運良く命拾いをしているのが、現代版若き走り屋の習性であるとも分析できていたからです。

4・現代車の問題点

異常な過保護からくるものなのか・・・

現代車の多くからエマージェンシーブレーキでもあるハンドサイドブレーキが無くなったのも、「車体をフットブレーキ以外に固定するだけのもの」としか見れなくなり、ボタン式に変更、マニュアル車においてはブリッピング機能を持たせ、ヒール&トゥーが出来ない人に対応させたりと、空気を読んでいるようで的外れな事ばかりが目に余るのが現代車であると感じ、造る人も買う人も車も、利便性が上がった分「本能は退化した」と感じる訳です。

それで良しとする社会の風潮なのかも知れませんが、本来は、サイドターン、ヒール&トゥー、それらテクニックを両手両足右脳左脳を使いながら身をもって真剣に使って楽しむからこそ「スポーツ」なのであり、決して“サーキットで楽にタイムを削るだけ”を目的としてスポーツカーに乗る訳では無い購入する訳ではないのです。

全て、自らの「手足の様に扱い支配下に置き高揚感や優越感に浸りたい」という心理を、いまいち理解していただけなくなった様にも感じてしまうのです。

さらには、それら現代の車が過去のマシーンを遥かに凌駕するパフォーマンスを有しているのかといえば、意外とそうでもない、と言えるのも理由の一つなのです。

なぜならば、90年代の車達が未だににチューニングや末端社外ショップとオーナーの手によりブラッシュアップと進化を重ねて「世界中」で活躍しているからです。

ランエボ、インプ、NSX、S2000、シビックEG6〜EK9、スカイラインGT-R、RX-7、スープラ、GTO、空冷・水冷ポルシェ911、・・・

国内マイナーレースでも、ドラッグレース含め、世界目線で見てもいまだに90’Sヒーロー達が第一線で活躍し続けているではありませんか。

かたや、現行車はGRヤ○スのピストン粉砕問題、OBDポート社外機器接続によるセーフモード一人病み問題、90スー○ラはB○WのZ○の共通シャシー&エンジン、挙げ出したらキリがありませんが、ちょっとだらしが無く残念に感じてならないのです。

90’Sヒーロー達の中からもカタログ落ちで消滅してしまった車種も多過ぎな上、旧車の価格高騰に歯止めが掛からずに円安で海外へ流出する一方です。

いつの間にか中古車と呼ばれていた車は、旧車、ビンテージカー扱いの高級車となってしまいました。

現代車と過去車は、

「タイヤと地面のハガキ一枚分の接地面積」

であることは未だに変わらない事実であり、それにも増して現行車は飛躍的なパフォーマンスアップが目に見えて向上しているのかと言えば、意外とそうでも無い、そこまででもないと感じてしまうからです。

こんなにもスマホやインフラが時代とともに進化したのに、たったそれだけしかサーキットタイムもアップしてないんですか?そんなに重たいんですか?ATだけですか?そんな高いんですか?という感覚があるのです。

タイヤコンパウンドの性能が向上するにつれ、それらの微々たる差は顕著に現れて来ているようにも感じてしまいますし、情報化社会の現代においては様々な映像をYouTubeで拝見する度、新車にもかかわらず足廻りの錆びやすさ薄い鉄板をプレスしただけの安っぽさ下廻りがスカスカで相変わらず取り付けられていないアンダーカウル、これら現行車の進歩の遅さやコスト削減の激しさ、値段と照らし合わせた価値観に幻滅してしまうのです。

5・S2000の特別な存在感

調教師の中味の濃厚さがヒシヒシと伝わってくるような・・・

この、ピュアスポーツS2000のように「FR・NA・MTの3拍子」が揃った車を乗りこなせる者は、

『何を乗らせても速く走らせる事ができる』

断言できる、というのが一つの持論、見解なのです。

それだけドライビングが難しく、奥が深いのです。簡単な物程すぐに飽きてしまうように、難しいもの程その先を研究しようとするもので、それが上手く行った時にこそ「快感」を味わえるのです。

この最高に楽しいオープンエア「FR・NA・MTの3拍子」が揃った車で育った方々の中には、近年のパドルシフター2ペダルAT車、スーパーカーという名の“お婆ちゃまでも運転できるスポーティーカー”への移行の風潮とその乗り味に、あくびが出るほど退屈で、超簡単に速く走れ過ぎてドライビングプレジャーを感じ辛く達成感の薄い、3ヶ月で飽きてしまうような何とも言えぬ「虚無感」と共に、

「なぜにこんな車にお金を払って乗るのか自分でも理解し難い」

と思っている方々もいるのかも知れません。会社の経費で、税金対策で、と言う方もいらっしゃるでしょう。減価償却の都合、ディーラーから何年間も無償の保証を受け続けたい、メンテナンスでも楽をしたいというヨコシマな感情から、モヤモヤを抱えつつ「仕方がない」と密かに妥協して現行車に乗り続けている方も少なくはないと思います。

いやいや、楽に簡単に速く走れるところが良いんじゃないか、と言う方と常に拮抗した状態があるとも見ておりますが、依然として「ミドルスクールのマニュアル車は高額な値付け」である事実から推測するに、世界視野でも潜在的ニーズがいまだに沸々と湧いている事が予測できます。

そういう感情「3ペダルスティックリアルスポーツ」を所有する売り手側は痛い程理解しているので、今後値下がりすることは「先ず無い」と踏んでいます。輸出でも逃げ切れる勝算もありえるでしょう。

写真はS2000最終型のタイプSです。スペックなど誰でも調べればわかるような事は敢えて申しませんが、強いて言うなら、強く思えば必ず夢は叶うと言う事をお伝えしたいのです。

上手く潜在意識に強い思いが刷り込めれば、必然的に行動も変わり、運を引き寄せてくると感じるからです。

前期型の方がエンジンがよく回って楽しいよ、とおっしゃるツウな方もいらっしゃいますが、願ってもいない最終型の最高にカッコいいエアロを纏った、1番乗りたかった特別な1台を、サーキットで思い切り走らせてみることができた記念すべき日の1枚で、私の宝物です。

おおよそオープンカーであるとは思えない「強靭なボディー剛性」に舌を巻き、それは、あえてドリフト態勢に持って行こうと故意にテールスライドに持ち込もうとしても、中々それを許してくれない程素晴らしいスタビリティがあり、ポテンザREシリーズのタイヤコンパウンドも時代を超越した圧巻のグリップを発揮させるものでした。

馬力云々ではなく、その特性に絶妙にマッチしたギア比は、あっという間にリミッターに当たって183km/hとの表示をし、風と共に唸る250psのV-TECサウンドは、まるでホンダCB1300SスーパーフォアBIG1というバイクを車で表現したような気持ち良さがありました。

「結局、マニュアルのスポーツカーを乗りこなせない奴はF1パドルに乗せても速く走らせることはできないんだよ・・。究極のところはね。・・・」

と、19歳の頃からお世話になっている大先輩から言われたひと事をふと思い出しつつ、それは何故かということを改めて考えさせられました。

アクセルの微妙なタッチと回転数、今ミッションのギアとシンクロはどういう状態か、デフはどんな状況か、タイヤはどの様に捩れているか、一つ一つを理解しながら感じ取る・・・。

とてもシンプルな造りで軽くて丈夫勝手なシフトアップシフトダウンもなくシフトダウンを受け付けないお仕置きモードも無し思い通りに回転数とギアレンジをセレクトできる一体感・・・。

原因不明な電子制御の故障とは無縁のピュアスポーツ・・・。

老若男女、現代の設計者もユーザーも「温故知新(おんこちしん)・・・古いことを振り返りながら新しい知識や洞察を得ることを意味し、過去の経験や知識を振り返り、それをもとに新しい発見や学びを生み出すこと」で、改めてこの車に触れてみて欲しいと思うのです。

もしも、これを読んでいる貴方が今、何かに行き詰まってしまっているならば、この子にどこか遠くまで連れてってもらうのも一つの手かも知れません。

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