
イントロダクション
さあ、車好きの皆さん、座席にしっかりと座り”人生のシートベルトを締め直す時”がきております。人になんと言われようが、ジャーナリストがメーカーから賄賂を受け取り手放しで褒め称えようが酷評しようが、百聞は一見に如かず、真実は自分の目で見て判断すべき時代に突入しました。
今日は、当時の一部自動車評論家やジャーナリストに『酷評』された、“三菱GTO”という、日本のスーパーカー界“悲運の巨人”についてお話しします。
いや、巨人というより、メカゴジラ・スカイラインGT-Rを横目に「オレの方が速いんだぞ」と言わんばかりに自信満々なグラマラス・スポーティーコークボトル・ボディーラインを持ち、真っ向から挑んだ”勇者”と言った方が良いでしょうか・・。
私もつい贔屓にしてしまう程、大好き過ぎで本気でおかわり君がしたい(もう一度乗りたい)車です。
大抵のオーナーは1度売ってまた戻ると言われている魅惑的なこの車は、当時のジャーナリスト達の酷評が引っ掛かりつつも、実際に買って所有してみて“全く異なった印象”であったこと、正に「ヨーロッパ車とアメ車と日本車を足して3で割ったような最高に楽しい車」であったというお話をしようと思います。宜しくお願いを申し上げます。

歴史と背景
三菱GTOは1990年代にデビューし、ギャラン、シグマ、パジェロ、デリカ、等でTVドラマやラリーを圧巻していたミツビシ自動車が世に送り出した、当時の日本車市場を震撼させた車でした。
その名も「GTO(グランツーリズモオモロゲート)」の名を轟かせたスポーツカー(4シータースポーティーカー)であります。
GTO MR(MR=ミツビシ・レーシング略でホモロゲ軽量バージョンLSD標準装備仕様)は、その名に恥じぬよう陰ながら全力で走り、非公式ではあるものの中谷明彦選手が駆るベストモータリング・チャンピオンズバトルでスカイラインGT-Rを打破して優勝し、そのN1クラス(極めてノーマルに近い内装を剥ぎ取ってブーストUPしただけの様なレギュレーション)で筑波2000サーキットを59秒台で駆け抜けました。
まるで「お父さんが若い頃は本当に速かったんだぞ!無冠の帝王アスリートだよアスリート!」と言わんばかりのものでした。

設計とコンセプト
GTO MRの設計はまさに未来からやってきたかのような独自性で、フィルディナント・ピエヒが世に送り出したグループBアウディ・クワトロを凌駕する様(当初三菱はスタリオンベースで撃破を画策していたグループBが消滅)、改めて真剣に市販モデルでビッグクワトロを撃墜しようと試みているかの様なミツビシフラッグシップの市販車であり、日本国内量産車初めてのオプション採用となった6podロッキードブレーキキャリパー&2ピースブレーキローター、全輪駆動(AWD)と四輪操舵(前期は4WSで中期MRは固定式AWD)の組み合わせで、タイトコーナーもキャンバー角と足のセッティング次第で「お手のもの?(ノーマルはアンダーステア強め)」とばかりに駆け抜けたのです。
設計者たちは、市販バージョンではただのスポーツカーではなく、GT(グランツーリスモ)としての快適性も兼ね備えたモンスターを作り出し、彼らは「速さ」と「快適さ」を同時に求めるという、まるで二兎を追う者が二兎を得るかのような挑戦に挑んだのでした。
この車の本当の凄さを知る者は「実際に3ペダルMTターボグレードを購入しチューニングして上手にAWDを操る走りのテクニックがある者のみ」であると断言できます。
アンダーステアは消すものであり、四駆は”曲げるものである”という概念がなければ到底乗りこなす事は出来ません。今も昔も、日本三大財閥系金持ち会社をただただ叩く、お金を握らされたジャーナリズムに洗脳されて踊らされる人間性の者達には、「到底理解の及ばぬ所に位置する車」と言えるのです。

コンペティティブストラテジー
“ライバルのスカイラインGT-R “に対抗するため、GTO MRはあらゆる手段を駆使しました。
3.0リットルV6ツインターボエンジン(6G72)のパリダカで実績のある強靭な鉄ヘッド鉄ブロックの“パジェロのエンジン”をベースにパワーを引き出し、ディアマンテベースシャシーをショート化して再設計し、持ち前の技術であったAWDシステムとゲト6MTとの組み合わせで強化しつつホイールベースを短くすることで、直線でもコーナーでもポルシェ959から技術を拝借したアテーサETSスカイラインGT-Rに負けないパフォーマンスを“素地”で発揮することに注力したのです。
まるで「お前が何者でも俺の前ではただの風だ」と言わんばかりの”零戦魂を胸に秘め”て・・・。
そのキャッチフレーズは「スポーツは、”ライバルがいるから”面白い。」でした。

レース参戦と評価
GTO MRは多くのレースに参戦し、その性能と可能性というものを“知識と理解がある者へ”証明し続けました。
特にプーマがスポンサーとなった時期には、予選から連戦で上位に食い込み、幾度となくスカイラインGT-Rの牙城を脅かし、レースでは度重なるトラブルに泣かされました。
レーシングドライバーたちは、そのハンドリング特性と加速性能のバランスに意見を戦わせながら善戦したのです。それらに加え、ジャッキー・チェン主演で加山雄三さんも出演する映画「デッド・ヒート」で影響を受けた、三菱GTOの“影なるファン”の評価をさらに高めました。
「あの時のGTOは、まるで孤高の個人レーサーチーム、トム・ウォーキンショーのジャガースポーツのXJSのようなストイックな戦い方で、獅子のように力強く目に映ったんだ。」と”イチ・マニア”のハートを射止め、いつか必ず勝利を掴むんだという夢を見続けさせてくれました・・。
それくらい、スカイラインGT-Rの強さと強烈なファン層、その収益を惜しみなくレースに投入できる環境にあった日産は”脅威そのもの”でありました。
三菱財閥下の厳しい上下関係、縛りの中で、パリダカで戦うパジェロへの投資と、WRCでスバルと死闘を繰り広げていたランサーエボリューションへの開発費の間に立たされていた、“悲運のスター”だったと言えます。

人気と評価
GTO MRは、その技術と性能で一部のコアなファンを魅了しました。勿論、ダイアペットを数台購入していた私も紛れも無くその一人です。
ポジティブな点としては、AWD特有のアンダーステアはキャンバー角で相殺し、ショートホイールベースおよびポルシェ911より低い車高から得られる意外とクイックにノーズが入るハンドリング、2500rpmという低回転から発生されるツインターボエンジンによる図太い爆発的トルクとAWDトラクションが生み出す加速が挙げられます。
しかし、ネガティブな点としては、戦車のように重い車重(現代車と比べれば普通?な1650kg)、ノンターボAT(SRグレード)は壊滅的に燃費が悪く(私が乗っていたゲトラグ6速MTターボ中期MRはリッター8.4km/lと上手く走ればそこまで悪くはありませんでした)、ボンネットフード下はギッシリと補器類が詰まっており、メンテナンス性や熱問題、ディーラーでの工賃、整備コストが高いことが挙げられました。
まるで「速さには犠牲がつきものさ」とでも言わんばかりのものでした。

チューニングとカスタマイズ
それらネガティヴ面を吹き飛ばす程、GTO MRはチューニングやカスタマイズのベースとしての伸び代がありました。
ダクトだらけのカーボンボンネットへの変更もさることながら、HKSのパワーフィルターや「銀プロ」と呼ばれるエンジンコンピューターマネージメントチューンで純正TD04タービンは遺憾無く強化ブローオフバルブを介して吠え散らかしました。
西(関西)のピットロードMといわれるショップではGTOにT88タービンのドーピングなどのハードチューニングに特化し、多くのオーナーに支持されました。
「あそこに出せばGTOはさらに速くなる」と評判でしたが、現在ではその声も随分と小さくなり、一部の海外マニアの中で神格化されてしまっているような状況です。
私個人としては非常に残念でなりませんが、時代の流れや、食べて行く為の手段としては国内の人気車をいじらない事には仕方がないと戒めております。
東(関東)ではバズファクトリーというショップが有名でした。

究極のチューンドカスタムGTO
さて、私の出した一つの答えでもある“壊れないこともパフォーマンス”だという理念に準じた究極のチューンドカスタムGTO MRについてお話ししましょう。
このGTOは、FRPオーバーフェンダーでさらに軽量化しつつワイド化し、コーナーの限界値を高めました。265-35/20と305-30/20で前後のタイヤ外径の直径を揃えてセットしてAWDのトランスファー(センターデフ)にかかる負担に配慮しつつ特性をFRレイアウトのタイヤ接地面へと近づけ、軽量RAYS製鍛造ホイールにミシュランパイロットカップ2ハイグリップタイヤを装着し、さらにグレッディー製のアルコン6ポッドブレーキキャリパーや2ピースブレーキローターで強化されました。
アラゴスタ社製のハイレシオなバネレートで強化された車高調サスペンションでヘビーな重量級の車体に対応させて引き締められた足回りと、2.5°にセットされたアルミキャンバープレート&調整式ロアアームは、まるで「どんな路面状況のタイトコーナーでも任せろ」と言わんばかりの自信に満ちた剛性感覚があり、レカロSR6セミバケットシートでは役不足を感じる程の強い横Gを生み出していました。
バンパー左右内部に収まるツインインタークーラーはアメリカ3S X社製の分厚いアルミの物へと変更し、オイルクーラー裏側のインナーフェンダーは、綺麗に風が抜けるようにサービスホールを設けて、フロントバンパーにはNISMOダクトを流用、インナーアルミバンパーは零戦のシートの様な穴をヒントにホールソーで貫通させて軽量化とクーリングを両立させました。

ドライビングプレジャー
このチューンドカスタムGTO MRは、リジカラやタワーバーやトヨタ86用のドアスタビライザーを流用して補強され、アメリカ製の軽量ジュラルミンプロペラシャフトと強化スタビライザーで武装させていました。
空力特性も考慮し、汎用ボルテックスジェネレーターやサイドスプリッター、リアウイングエクステンションを寸法を測ってはカットして装備させました。
エンジンはピックアップ重視のノーマルTD04タービンを使い切るために背圧の少ないワンオフマフラーを職人さんと一緒に早起きをして製作し、分厚い米国製インテークプレナムを導入し、アルミ軽量クランクプーリーや強化ドライブベルトでさらなるパフォーマンスを引き出していました。
過給機音からも精度の良さがヒシヒシと伝わってくるような雰囲気なのです。
ハンドルのセンターもピシッと出ていて実にしなやかで滑らかに走る車で、高級感のある上質な走りが魅力的でもあり、“真面目に作った車なんだなぁ”と感心させられるものでした。
信号待ちで外国人観光客から写真を撮られたり、おチビちゃんから手を振って頂けたり、SNSで見かけましたと写真付きで報告されたり、何かと嬉しい出来事が重なり、会った事のない外国人のお友達も増えました。
そして何より、大した用事もないのに何かと理由を付けては走り出してしまう、まるで自転車を覚えたての少年の様なウキウキした気持ちにさせられ、「この車に乗ると小学生時代の自分に戻るなぁ。・・」としみじみ感じるものでした。

まとめ
三菱GTO MRは、その時代の背景や技術とデザインの粋を集めた車であり、多くの三菱自動車愛好家やラリーファンにとって特別な存在でした。
その高度な技術と独自の執念のスタイルは今でも多くの人々に愛され、世界へと輸出された左ハンドル仕様の3000G T/VR-4や当時の提携姉妹車であったクライスラーデイビジョンのダッジ・ステルスR/Tと共に日本では考えられない程に評価されているのです。
パジェロエボリューションに搭載された3.5Lの6G74型MIVEC(可変バルブタイミングNAエンジン)をターボ化して換装する者、はたまた、日本では販売されなかったエクリプス第四世代に搭載された6G75型3.8Lエンジンをターボ化して換装してしまう者、アルミビレットCNC加工で重要部品の強化パーツが製作されていたり、クウォーターマイルの記録を更新している個体すらあり、上には上のカスタマーが居るのです。
GTO MRという日本独自のライトウエイトホモロゲーションの歴史、ストイックとも苦し紛れともいうべき設計、そんな中でのチューニングの可能性は自動車界において一部マニアには密かに語り継がれてゆくでしょう。
いや、本当にこの車は「伝説の迷車(最上級の褒め言葉)」と呼ぶにふさわしい最高のベースマシーンなのです。

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